亡き母をしのんで

「亡き母をしのんで」と題して、昭和56年11月3日に亡くなった父・米田義昭が生前原稿用紙に残した文章を公開します

あとがき

一 母の子供たちに対する愛情に分け隔てのあろうはずがないが、満一才の誕生日の翌日に母を失った登志子は論外としても、美栄子でさえ母の亡くなったときまだ九才であった。私はそのとき一八才だったから、結果的には、私が最も長い期間母の慈愛のもとに育て…

10 (義昭より母へ 2.24付手紙。消印不明)

お手紙有難う御座いました。(編注、この「御手紙」は、7の手紙を指している。つまり、6の私の手紙は、私からの転入通知として一方的に書いたものであり、5の母の手紙は、6の手紙に先き立ち、私がその転入を電報で知らせたことに対する返事として書いた…

9 (父から義昭へ 2.22付葉書 2.23消印)

十六日付手紙(編注、8の手紙)昨日拝見、元気で通学している由安心した。御祖母様、御祖母様、伯父様方の御蔭げだと感謝の念禁ずる能はず。小包は今朝慥(たしか)に受取りました。切干等子供達珍しく、美味しいのでお喜びで頂きました。(以下略)

8 (義昭から母へ 2.16付手紙 消印不明)

お便り(編注、この「お便り」は5の手紙を指している。8の手紙を出した後、7の手紙を受取っていることが、内容をよく調べて分った。だから8は6の次に書くべきだった。しかし、書き直すのはたいへんだからこのままにしておく) 有難う御座居ました。相変…

(注)

①この手紙によると、母は私が依頼した上衣と合羽だけを送ったのであろう。遊学先の息子の好きな食物を一緒に入れることを思わない母がどこにあるだろうか。それだのに、母は、大根の切干も入れられないと嘆いているのである。末尾近くの「一円」も「十円」「…

7 母から義昭へ(手紙の日付なし。消印は22.2.19?)

お手紙(編注、6の手紙)ありがたうございました。 種々苦勞して學校へ入學出来、ほんとによかったですネ。室津も二三日前五分位雪がつもり、こんな事は今までにない事だそうです。毎日ゝガタゴトと風が吹きまくって居ります。こんな寒い日に、お祖父様はど…

6 義昭から母へ 22.2.11

(前略)電報でお知らせした通り、今日静岡市立第一中学校の二年へ入學を許可されました。明日の紀元節(編注、現在の建国記念日で、現在も戦時中・戦前も祝日で休みだったが、終戦後当分の間は休日ではなかった)に初登校します。どうぞ御安心下さい。(中…

5 母から義昭へ(22.2.11付手紙。22.2.11消印)

今日は電報(編注、私が一中に転入できた旨の電報)を見て安心しました。先日の手紙で細い事は判り安心して居りましたが、でも、どうか知らんと毎日入学出来た通知の来るのを待っておりました。何卒元気でがんばって下さい。母はただ貴方の身体を案じて居り…

4 義昭から母へ(22.1.24付手紙1.25消印)

お便り(編注、3の手紙)有難う御座いました。その後お変りはありませんか。美榮子や博正達も皆元気ですか。僕も全然変わりはありません。此の頃は魚が多く這入るので、それを家に持って帰ったり、海から水を汲んで来たり、氷を買いに行ったり、毎日一生懸命…

3 母から義昭へ(2の手紙に同封のもの)

無事に着きました由安心しました。 家の事も何にも心にかけず、お祖父母様、光子様の云う事を守り、一心に勉強して下さいませ。 貴方が居らなくなり淋しくなりました。和雄はイチヤンイチヤン(編注、「兄ちゃん」の意)と時々思ひ出して話してます。私はお…

2 母から祖父へ(封筒なく、日付も不明)

皆様お変わりはない事と存じます。 お父様(編注、徳次郎)のお手紙を見まして、私もうれし涙、義昭も大よろこびでした。 途中の事も案じましたが、無事の通知に安心しました。 私は何にも云う事はありません。何事も父様におまかせします。ただ義昭が学校に…

二 母と私との往復書簡集(昭和二二年)

私が発信したものは、すべて米田享一様、志津子様(本名は志津<志太郡焼津町から志津の字が採られたと聞いたことがある。>だが、志津子の通称を用いていた。)とあて名が連名になっているが、ここでは母あてと略記する。 父が私あてに書いた手紙類は、便宜…

1 義昭から母へ(22.1.17付葉書。1.18消印)

昨夜六時無事に着きましたから御安心下さい。列車は京都を過ぎてからは普通列車になりましたから、静岡から戻るまでもなく焼津の驛にも停車しました。順調に行けば四時には着くのですが、米原の二つ手前の驛で急行待合はせの為二時間も停車して居たのです。…

一 家庭通告簿

先年、故増田弥作(母の叔父)氏の遺族から、静岡県志太郡焼津尋常高等小学校発行の家庭通告簿(児童氏名増田志津)をいただいた。交付年月日大正四年七月三十一日で学歴に大正四年尋常科第一学年修了とあり、一学期から三学期まえの記載があるから、一年生…

はしがき

母が昭和二三年四月二七日に没して、来年はもう三〇年になる。 三三回忌には間があるが、この三〇年を記念して、私が今持っている母との往復書簡その他の資料をありのままに編さんして、弟妹と私の妻子に残すことを思い立った。秋晴れの昭和五二年九月四日(…