亡き母をしのんで

「亡き母をしのんで」と題して、昭和56年11月3日に亡くなった父・米田義昭が生前原稿用紙に残した文章を公開します

7 母から義昭へ(手紙の日付なし。消印は22.2.19?)

 お手紙(編注、6の手紙)ありがたうございました。

種々苦勞して學校へ入學出来、ほんとによかったですネ。室津も二三日前五分位雪がつもり、こんな事は今までにない事だそうです。毎日ゝガタゴトと風が吹きまくって居ります。こんな寒い日に、お祖父様はどんなにかお骨折りの事と思ひます。貴方も風を引かない様心を引きしめて下さい。寒いのも今少しの辛抱です。これからは暖になるばかりですから、其れだけでも元気が出ます。

小包一昨日送りました。洋服はありませんから、父さんの着てるのを送りました。私のとして配給受けた服は、貴方が暖になれば着なければなりませんでせう。上下貴方に合う様に仕立てなをして送ります。學校で配給があれば其れを着てもよいが、ない時は春になり通学に着る物がないでせう、貴方が着て来た洋服(編注、安東から着て来たの意か)は父サンが夏に着なくてはならないし、どう考へても送る品はありません。下が手に入りましたら送ります。お金でもあれば古着でも買へますが、、、(編注、当時の父母は、もちろん古着を買う余裕はなかった。)お魚買入れの時は雨ガッパを着て行く様にしなさい。あれが一番よいです。私も手紙を見た時、服がないのでカッパを送るつもりにして居りましたのよ。○○(編注、二字判読不能)が来て上だけ入れておきました。辛抱して下さい。大根切干少しでも入れたらと思ひましたが、私達が大根より他に食べられない有様ですから送りません。今一貫目十三円になり大根も買はれません。

父サンが、あれからクビのオデキが快くならず、一つが快くなると又一つ出来、三ツ目を先日手術しました。毎日医者通ひで注射をしたりします。又此れから後出来なければよいと思って居ります。お父サンは弱いからだめです。オカユを食べる度に玉の様な汗は出ますし、寒いゝでコタツに入り込んで考へて、子供を叱るのが一日の仕事です。やる事が下手です。あまりぶらぶらしてるので、切符があるし(編注、一四ページ末尾以下に記載の焼津行き、柳井途中下車で、まだ通用期間の残っていた切符のことである。)大阪に行く様にすヽめて、働く所でもないか忠(編注、当時忠叔父は大阪府の賠償課長か渉外課長だった。)の所に様子を見にやりました。別によい話しもないらしいです。お父サン一人でも働きに出る所があればよいと思ひます。

忠が父サンの事、何にか話してましたか。貴方も一心に勉強して忠の様になって下さい。大阪の方に未だ家がないのでせうね(編注、忠叔父は島根県の課長から大阪府の課長に転任した直後は、家がなくて、光子叔母の旧友方に間借りをしていたように聞いているが、そのことを指したものか。)文チャン(編注、父の兄米田正次の長男米田文雄で、私より三、四才年長)も福田(編注、父の姉福田たま、その夫福田菊次郎)の方に働きに明日行きます。

七(ひつ)チャン(編注、父の姉土屋あき(その夫は大正年代にいわゆるスペイン風邪で早逝)の長男土屋七次のことで、三六ページの上田芳子の弟。当時シベリヤから復員して、土屋の伯母、上田芳子らと共に室津で同居していた。なお、文ちゃんも、復員ではないが、正次伯父一家(編注、文ちゃんは、正次伯父の先妻の子で、他に正次伯父、その後妻と仁(ひとし)、明男、つう坊、たあ坊、の四児がいた。)が、私たちの引揚前室津のあの家に住んでおり、(登志子が生れると、同年の八月に純子が生れ、後妻の子は美栄子以下私の弟妹と同数で年令もほぼ対応していた。)私たちが引揚げて来てからも、同一家は昭和二四年ころまで同居していた。あの家は、正次伯父にとっても生家だったのである。)

文ちゃんの店(室津の家の道路に面した部屋を店にして、主として子供相手の駄菓子、玩具類を売っていたのである。)をお父サンが引き受けてやります。品物は今売れ残り物ばかりです。正月用の品物ばかりで、売れる物は文チャンが売ってしまいました。四百円ばかりありますのよ。

大阪の帰りに電気コンロを九十円で買ひ、一度つけたらヒューズが切れ、大へんな目に合ひました。お父さんのやる事は皆こんあ事ですネ。九十円は其のままでせう。芋でも買った方がよかったと思ひます。

してはいけない事は、けっしてするのではありませんよ。安東出発の時の事を考へても、貴方はよく判ると思ひます。貴方はけっしてしてはいけない事はしない様に。自分のかってな考へを付けてやってはいけませんよ。

寝小便によい薬はないか、焼津の人に聞いて下さい。博正に泣かされます。お金が出来たら、貴方がした電気でもかけて見様と思ってます。

着物も此の上心配かけては申訳ありません。其のまま送り返して下さい。(編注、「着物」のことは私あての手紙にはここで突然出てくる。多分、母が別途祖母に手紙か葉書で頼んでいたのであろう)貴方がお米を入れて行ったフクロ、リュック、フロシキ(一枚)(編注、私が室津から焼津に持って行ったもの)送り返して下さい。其の時一円位ひでも弟達に何にか入れて下さい。アメ一つでもどんなによろこぶ事でせう。

身体を大切に。其ればかり心にかけてます。家の方は少しも心配入りません。

                          母より

義昭様

静岡の方で室津の子供の買ひそうなオモチャがあれば、安物を送って下さい。少しでもよいです。