二 母と私との往復書簡集(昭和二二年)
私が発信したものは、すべて米田享一様、志津子様(本名は志津<志太郡焼津町から志津の字が採られたと聞いたことがある。>だが、志津子の通称を用いていた。)とあて名が連名になっているが、ここでは母あてと略記する。
父が私あてに書いた手紙類は、便宜上ここに加える。なお封書の中身が母で、封筒の表裏だけ父が書いたものもあるが、これは、もちろん母からの手紙とした。そして私が祖父方に身を寄せることになった際、母が祖父あてに出した手紙一通も、この往復書簡集に加える。
私が発信したものは、すべて米田享一様、志津子様(本名は志津<志太郡焼津町から志津の字が採られたと聞いたことがある。>だが、志津子の通称を用いていた。)とあて名が連名になっているが、ここでは母あてと略記する。
父が私あてに書いた手紙類は、便宜上ここに加える。なお封書の中身が母で、封筒の表裏だけ父が書いたものもあるが、これは、もちろん母からの手紙とした。そして私が祖父方に身を寄せることになった際、母が祖父あてに出した手紙一通も、この往復書簡集に加える。